photography of red rose plant

ヨーガの目的

 

ヨーガの目的は、
チッタ(心)の作用(働き, 諸状態)を
止滅すること。

 

──解説──

ヨーガの修練は
チッタ(心 / 記憶袋, 解釈)によって行われる。
プルシャ(魂 / 全知, 全能, 偏在)は
ヨーガの修練を必要としない。
プルシャは放っておけばよい。
ヨーガの修練を必要としているのは
エゴ(自我)である自分。

聖典の教えが与えられるのも
エゴ*3である自分。
より低い自分であるチッタを
エゴの行動から解き放てば
プルシャ(魂)の輝きが増して
くつろぐことができる。

くつろぎが増せば、
チッタが動いていない時はもちろん
チッタが動いている時ですら
ヨギはくつろぐことができる。
ヨギは行動を楽しむ。

エゴのための真理は、
身近な生活にこそある。
無私であることを学び、
献身的な生活を送ること。
行動は他者のために行うことで
チッタは平穏を得る。

ジーヴァンムクタ(聖者・解脱者)になると、
グナは目的を終えてその働きをやめる。
それまで、グナ*1の目的は
プルシャ(魂)に経験を与えることであった。
その目的がなくなり、
グナは元々のプラクリティ*2に戻る。

グナ*1:3つの性質; サットヴァ/ラジャス/タマス

プラクリティ*2:この世を構成する基本物質。純粋な精神原理のプルシャに対する物質原理

グナとして発現していない時は
グナはプラクリティのまま。
プラクリティが発現すると
それをグナと呼ぶ。
その発現が終わると、
プラクリティは
プラクリティのまま安住する。
完全に浄化されて、
純然たる意識の力が、
自らの純粋な本性の内に安住する。

そのとき、
見る者はそれ本来の状態に留まる。

 

エゴ*3

エゴイズムとは
見る道具を見る者だと思うこと。
「無知」の状態。

見るものはプルシャ(魂)、
見る道具はチッタ(心)や
インドリヤス(感覚器官)。

チッタやインドリヤスが自分だと
勘違いするところに
エゴイズムが生まれる。

誰もプルシャ(魂)に苦痛を
与えることはできない。
プルシャ(魂)はチッタ(心)の理解を
越えている。
チッタが哀しもうが喜ぼうが、
変わらずそこにいる。

しかし、
無知によって
私たちは自分がチッタだと思い、
「自分は快楽/苦痛を感じる」と
勘違いする。

※ヨーガにおいて「自己」とは
プルシャ(魂)のことであり、
肉体やチッタ(心)のことではない。

現代における
いわゆるスピリチュアルは
すでにインドの古代賢者が
聖典に記していた。
スピリチュアリティとは
精神性、霊性のことであり
あなたが人間として生きる上で
プルシャ(魂)を進化させるのに
かけがえのないものです。

 

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