person sitting in front of the taj mahal

真の祈りとは

ヴィヴェーカーナンダは
ラーマクリシュナと
一緒に暮らしていた。

ヴィヴェーカーナンダの
父親が亡くなった際、
残された家族は
相当ゆゆしい状態にあった。
父親がひどい借金を残し、
家族には
返済するすべもなかった。
家には一日二食分の
パンを作る粉もなかった。
ヴィヴェーカーナンダは
飢えと苦しみに苦悩した。

その様子を見て、
ラーマクリシュナは言った。
「馬鹿者め、
 悩む必要などない。
 なぜ母なる神に
 おねがいしないのだ。
 寺院にこもって、
 必要なものを
 おねがいするといい。
 おねがいすると
 何でも手に入る」

ラーマクリシュナの
勧めるままに、
ヴィヴェーカーナンダは
寺院に入った。
とはいえ、
非常なためらいがあった。
だが
ラーマクリシュナに
勧められたからには、
従わないわけにいかなかった。

一時間ほどして、
ヴィヴェーカーナンダが
恍惚として戻ってきた。

ラーマクリシュナは尋ねた。
「どうだ、
 欲しいものは
 おねがいしたか?」

ヴィヴェーカーナンダは答えた。
「おねがいすることが、
 何かありましたでしょうか?」

ラーマクリシュナは言った。
「馬鹿者、
 おまえがとても悩んでいるから
 寺院に行くように言ったのだ。
 必要なものをおねがいしなさい。」

ヴィヴェーカーナンダは言った。
「おお、
 パラマハンサ(サニヤシンの最高序列の人)、
 忘れていました。」

「もう一度行きなさい。」
ラーマクリシュナは言った。

ヴィヴェーカーナンダは答えた。
「私はまた忘れてしまいます。」

ラーマクリシュナは言った。
「お前の記憶力は
 そんなに悪くないはずだ。
 なぜ忘れてしまうのだね?」

ヴィヴェーカーナンダは弁明した。
「どうせまた忘れてしまいます。
 そこへ行くとたちまち、
 目から涙が溢れてきます。
 中に入るなり、
 瞑想が深まり始めます。
 わたしは感化されるのです。
 その法悦の中で、
 空腹でも貧乏でもない、
 貧困に打ちひしがれてなど
 いません。
 わたしは皇帝でした。

 神聖なるものが
 わたしに降臨され始めたのです。
 頼み事をするのは、
 あまりにも
 つまらぬことに思われました。
 お金を要求するなど、
 とんでもない!
 神聖なものが
 降り注がれていながら、
 金銭について
 どうやって頼めましょう。
 わたしには無理です。」

ラーマクリシュナは
この話を聞き入れなかった。

そうして
ヴィヴェーカーナンダは
再び寺院へと戻って行った。
しかし、
今度も彼は、
何もせずに戻り、
恍惚としていた。

ラーマクリシュナは
三度ヴィヴェーカーナンダを
送り込み、
ヴィヴェーカーナンダはその度、
お金を要求せずに戻ってきた。
彼は祈り、溺れ、
歓喜に圧倒された。
しかし、
乞いはしなかった。

その瞬間、
ラーマクリシュナは
ヴィヴェーカーナンダを
抱擁してこう言った。
「今日、
 お前が頼み事をしていれば、
 わたしとの繋がりは
 永遠に断たれていた。
 試練は終わった…
 おまえは試練を受け、
 真正で真実であることが
 立証された。
 乞えばお前の祈りは
 台無しになる。」

だが、
あなたは常に施しを乞う。
頼み事をせずに
祈ったことはない。
頼み事がなければ、
あなたは祈らない。

それは
こういった考えだからだ。
「何の必要がある。
 万事順調だ。」

だからこそ、
幸福なときは
神性なるものを思い起こさない。
惨めなときだけ
それは思い起こされる。

しかし、
わたしは言いたい。
真に神が思い起こされるのは、
幸福の中で
思い起こされたときだけだと。
惨めなときに
思い起こされるのは
真の神ではない。
なぜなら、
惨めなときあなたは
自分の苦痛を取り除くために
ねがい始めるからだ。
幸福なときは何も乞い求めない、
与えるものがある。

祈りに
自分自身を注ぎなさい、
何も求めてはならない。
与えなさい、
求めてはならない。
祈りの究極の瞬間において、
帰依者は
神聖なるものの御足に
自分自身を手放す。
自分自身を与え、
自分自身を捧げる。

探求し始めれば、
たちまちにしてあなたは失う。
すべてはただ、
待たれるべくここにある。
だが、
待つためには、
乞食のものでないマインドが
必要だ。

あなたの祈りと礼拝、
敬意と尊厳…
それらはすべて
無意味になってしまう。
あなたの乞食マインドも
ついて来るからだ。
祈る祭に施しを乞うことは、
蒔いたばかりの種を
毒に浸すことだ。
それがすべてを
めちゃくちゃにしてしまう。
ある事を望んでも
別の事が起きてしまう。
何も求めない方がまだいい….
少なくとも、
その方が種は無事だ。
礼拝しないことだ…
少なくとも、
その方が種は毒されない。

感謝に満ちて祈る日に向けて、
神聖なるものの慈悲が無限だと
わかる日に向けて、
あなたの祈りを取っておきなさい。

「あなたは多くを与えてくださった。
 求めずとも、
 すべてをお与えになった。
 まったく何の理由もなく、
 わたしの不相応にも関わらず、
 この身の不相応にも関わらず
 降り注いでくださった。
 あなたはわたしに生を与え、
 愛を与えてくださった。
 至福を体験する能力を、
 美を見る繊細さを
 与えてくださった。
 この一切を
 わたしに与えてくださった!」
祈りに向かうとき、
このすべてに感謝を
捧げるために向かいなさい。

あなたの祈りが
神への謝恩となる日、
神聖なるものが
あなたの祈りに
降臨し始めたことがわかる。
その祈りが
何かを求めるものである限り、
あなたは世間に立っている。
寺院にいても、
モスクにいても、
グルドゥワラにいても違いはない
…あなたが立っているのは市場だ。

この市場は
あなたの外側にあるのではない。
外側にそれがあると
思ってはならない。
それもまた
大きな誤信を生む。
この市場は
あなたの中にある。
このひしめく思考の雑踏は
あなたの中にある。
この夢のカーニバルは
あなたの中にある。
これはあなただ…
それぞれの方向に向かおうとする、
非常にたくさんの夢の馬に
股がってるのはあなただ。
それはあなたの中にある。
外側の市場は
内側の市場の影にすぎない。
本物の市場は、
あなたの中にある。

外側の市場に疲れたものが、
森に逃げ込んだり、
サニヤシンになることは
ときどきある。
またもあなたは取り逃がした…
またもや取り逃がしている。
外側の市場は、
内側の市場の単なる投影だ。
本物の市場は、
内側にある。
この内側の市場を
落としなさい!
そのとき、
外側の市場さえ
寺院にほかならないと知る。
自分の店に座っているときも、
あなたは寺院にいるのだ。

Osho – Last Morning Star

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