立ち上がれ目覚めよ|Arise Awake ③

 

師・スワミ・ヴィヴェーカーナンダの言葉 â‘¢

霊的な実践

 これは学ぶべき最初の教訓だ。自分以外の何ものも呪わない、自分以外のなんびとにも責任をなすりつけないと決意せよ。男らしくあれ!立ち上がれ!すべてを自分自身のせいにするのだ。君は、それは常に真実だということに気づくだろう。しっかりせよ!

 たった一つの真の義務は、無執着である事と自由な存在として働く事、すべての働きを神に献げる事である。すべての義務は主のものだ。

 どのような人生であろうと失敗ではない。宇宙には失敗というものは存在しない。人は何百回となく自分自身を傷つけ、何千回となく倒れるだろう。だが、最後には自分が神であることを悟るのだ。

 ひとつの考えを取り上げよ。その考えを君の命とするのだ、そのことを考えよ、そのことを夢みよ。君の頭脳・筋肉・神経、君の体のあらゆる部分をその考えで一杯にし、他のすべての考えは放っておくのだ。これこそ卓越した精神世界の巨人を輩出する方法だ。

 穏やかで、動揺しないほど、良い仕事がなされるだろう。

 外側に表れている本性を抑えるのは、望ましいことであり立派なことだ。しかし、内在する本性を抑えるのはさらに立派なことである。人間の心の内側にある微妙な働きの秘密を理解し、その素晴らしい秘密を熟知して、内なる人間性を抑えるということは完全に宗教に属する。

 求めよ、さらば与えられる。探せよ、さらば見つけられる。叩けよ、さらば開けられる。これらのキリストの言葉はでっちあげでも作り話でもなく、文字通り真実である。

 君たちの信者仲間を指導しようとしないで、彼らに尽しなさい。無慈悲な指導熱は、幾多の立派な船を人生の大海に沈めてきたのだ。

 行動を起こすのはよい。だたしそれは思考から生まれる。脳をよく働かせよ。高度な思いから最高の理想が生まれる。それを昼も夜も思い続けることから偉大な働きがなされる。

 自己中心主義を止めることが、結局は自分を一番幸せにすることになる。ただ問題は、人びとにそれを実行するだけの根気がないことだ。

 自分を主に献げ切っている人びとは、すべての、いわゆる活動家よりもよく世のために尽す。自分自身を徹底的に浄化したひとりの人の方が、多数の説教師よりも多くのことを成し遂げる。清らかさと静かさとから、迫力のある言葉は出るのだ。

 自分自身を度外視している時にこそ、われわれは最高の仕事を成し遂げ、最大の影響を与えるものだ。

 実践は絶対に必要だ。君たちが座って毎日1時間私の話を聞いたとしても、実践しなければ一歩も前進しないだろう。すべては実践にかかっている。われわれはこのようなことを自分で経験しなければ理解できない。自分の力でこのようなことを見、感じなければならない。説明や理論を聞くだけではだめだ。

 他者に善をなそうと絶えず努力することによって、われわれは自分自身のことを忘れようとしているのだ。この自己を忘れることこそ、われわれが人生で学ばなければならない、ひとつの大いなる教訓である。人は愚かにも自分で自分を幸せにできると思い、長年にわたって必死に努力する。そしてやっと、本当の幸せは利己主義を断ち切ることにあり、自分以外の何者も自分を幸せにできないことに気づくのだ。

 利己的であることは不道徳であり、利他的であることが道徳だ。

 瞑想は重要だ。瞑想せよ!瞑想は偉大だ。それは霊的生活──心が瞑想している──への近道だ。それは、日常生活のなかでわれわれが完全に物質でなくなる瞬間──あらゆる問題から解放されて、魂がそれ自身について考えている瞬間だ──魂のこの素晴らしい感触。
Meditation is the one thing. Meditate! The greatest thing is meditation. It is the nearest approach to spiritual life──the mind meditating. It is the one moment in our daily life that we are not at all material──the soul thinking of itself, free from all matter──this marvelous touch of the soul.

 

世界は神とひとつ

 おのおのの魂は星であり、すべての星は、かの無限の青空、かの永遠の大空、すなわち主の中にちりばめられているのだ。各自すべての根、実体、真の個体性はそこにある。

 もはや何者も、彼女(インド)に抵抗することはできない。もはやけっして彼女は眠ろうとはしない。いかなる部外の力も、もう彼女を抑えることはできない。この無限の巨人が、彼女の足で立とうとしているのだから。

 われわれは愚かさゆえに、自分は弱い、自分は不浄だなどと嘆くのだ。

 われわれは神以外のあらゆるものを欲しがる。われわれの普通の願望は外界によって満たされるからである。われわれの要求が物質宇宙の限界内に限られている間は、われわれは一向に神の必要を感じない。

 幾百万が飢えと無知の中で死んでいる間は、彼らに代償を払わせて教育を受けていながら、彼らに一顧も与えぬ連中の一人ひとりを、私は裏切り者と見る!

 義務がわれわれの病となってしまっている。義務に引っ張り回されてしまっているのだ。義務に捕らえられた人生は惨めなものだ。

 教育とは、頭に詰め込まれ、未消化のまま、生涯そこで騒ぎ回っている情報量を指すのではない。われわれは人生を構築し、人間を育成し、人格を形成する知識の取り入れ方をする必要があるのだ。

 御身、地上の神々──罪びとたちよ。人を罪びとと呼ぶ事が罪なのだ。

 私の理想は実に数語で現わす事ができる。それは人類に彼らの神性と、それを人生のあらゆる活動に現わす術を説く事である。

 人生は自分を抑えつける傾向を持つ環境の下にある人間の、発展であり進歩である。

人生は戦いと幻滅の連続だ。人生の秘密は楽しみにではなく、経験を通して学習することにある。
Life is a series of fights and disillusionments. The secret of life is not enjoyment but education through experience.

 あなたは母なる地球のように寛容でなければならない。これを達成することができれば、世界はあなたの足元にある。
You must be all-forbearing like Mother Earth. If you can achieve this, the world will be at your feet.

 生と死、善と悪、人知と無知のこの混じり合いは、いわゆるマーヤー、あるいは普遍的現象と呼ばれるものである。君たちは永遠にこの網の内側で幸福を探し求め続け、幾多の悪にも出会うことになろう。悪いことには会わず、良いことだけを経験するなどというのは、子供っぽいたわごとだ。

 予言者たちは、類のない存在だったのではない。君たちまたは私と同じような人間だったのだ。彼らは偉大なヨギたちだった。彼らは超越意識を得ていたのである。そして君たちも私も、同じものを得ることができるのだ。一人のひとがかつてその状態に達した、という事実そのものが、それは誰にでもできることだ、ということを証明している。できることだと言うだけでなく、誰でもがついにはその状態に達しなければならないのであり、それが宗教なのである。

 利他的であることはより多くの利益をもたらす。しかし、人びとにはそれをなす忍耐がない。

 おそらく私には、肉体を脱出した方がよい──着古した着物のようにそれを投げすてた方がよい──と思うときが来るだろう。しかし私は、決して働くことはやめない!世界が、それは神と一つのものである、ということを知るまで、私は到るところで人びとを鼓舞しつづけるであろう!

 

 

 この地球上にある心理学、哲学、あらゆる思想、そして現在流布しているあまねくスピリチュアル。そのコタエはクリシュナをはじめとするインドの多くの聖者がすでに伝えていました。本来、私たちは魂なのであり、経験を通して進化するために生を受けました。インドの古典には、宇宙意識の目覚めに必要なことが多く遺されています。宗教とは、神とは、人生とは、ワタシとは何か。最後に、師の、愛の言葉を受け取ってください。

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 最後にわれわれは、究極的にはこれらすべてのさまざまに異なる体系は、かの一点に、かの完全な合一に集約されていくのを見る。われわれはいつも二元論者として出発する。神は分離した存在であり、私は分離した存在だ。その間に愛が介在して、人は神に近づき始め、神は言わば人に近づき始める。(非二元論/ノンデュアリティへ)

 人は、父親、母親、友人、または愛人として、人生のさまざまな関係を引き受ける。彼は、これらすべてとして存在し、彼が礼拝の対象とひとつになったとき、最後の点がやってくる。

私はあなたです、あなたは私です。あなたを礼拝しながら私は自身を礼拝します。そして私自身の礼拝の中であなたを礼拝いたします。

 そこに、人が携えながら始めたものの最高の到達点を私たちは見いだす。最初は、それは自我に対する愛であったが、小さな自我の要求は愛を利己的にした。最後は、かの自我が無限になったとき、一面に輝く光の炎がやってきた。

 始めた場所で、私たちは終わる。最初はどこかに在(ましま)したあの神は、いわば無限の愛に溶け込んだ。人自身もまた変容した。彼は神に近づこうとし、彼は、すべてのむなしい欲望を投げ捨てていた──以前にはその中に首まで浸かっていたのだが。欲望とともに利己性は消え、頂上で彼は「かの愛」を見いだした。

 愛する者と愛される者とはひとつである──と。

 

 神はあなたの中に在る。本来、バクティ、神への信仰とは、あなた自身の、自分自神への目覚めなのです。師いわく、すべての宗教は一つ。世界は一つ。まさしく、いま私たちが追求するワンネスです。

 

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