Ashtavakra Gita #20

私は満たされた。

自然界の構成要素
身体の感覚
あるいは心

それらが私にとって何だというのだろう?

虚空や絶望とはいったい何か?
聖典や真我の知識
あるいは
感覚から自由になった心とはいったい何か?
幸福や絶望からの自由とは何か?

私は常に
二のない、一なるもの。

知識や無知
解放や束縛
それらは何か?

「私」とは何か?
あるいは
「私のもの」とは?

あるいは
「これ」とは?
あるいは
真我の本当の姿とは?

私は常に一なるもの。

生きながらの解脱
死んでからの解脱
あるいは
現世のカルマなど
何を気にするというのだろう?

私は常に
「私」なしに在る。

だから行為する者や
それを楽しむ者が
どこにいるというのだろう?

現れては消え去る
想念とは何か?

不可視の世界や
可視の世界とは何か?

心の中で私はひとつ。

この世界とは何か?
自由、知識
一なるものを探し求めているのは
誰なのか?

誰が束縛され
誰が自由だというのか?

心の中で私はひとつ。

創造や崩壊とは何か?
探究や探究の終焉とは何か?

探究者とは誰か?
彼は何を見いだしたというのか?

私は永遠に純粋だ。

誰が知り
何を知り
どうやって知ったのかなど
何を気にするというのだろう?

知識について
何を気にするというのだろう?

存在するものやしないものについて
何を気にするというのだろう?

私は永遠に静かだ。

喜びや悲しみ
混乱や集中
理解や妄想とは何か?

私には思考がない。

幸福や災難とは何か?
ここ、そして今
あるいは
彼方なるものとは何か?

私は永遠に純粋だ。

幻影
あるいは世界とは何か?

小さな魂(個我)
あるいは
大いなる神(ブラフマン)とは何か?

二のない、一なるもの。
私は常に変わらない。

心の中に私はとどまる。

努力や静寂のために
何が必要だというのか?

自由あるいは束縛とは何か?
聖典あるいは教えとは?

人生の目的とは何か?

弟子とは
そして師とは誰か?

私に限界はない。
私はシヴァ。

私からは何も現れない。
私の中には一もニもない。

何も存在せず、
無も存在しない。

これ以上
何を言うことがあろう?

アシュターヴァクラ・ギーター 第二十章「私はシヴァ」

 

 誰によって、いつ書かれたかは定かではないが、時を経て愛され、読みつがれてきたアシュターヴァクラ・ギーター。アドヴァイタ・ヴェーダーンタ(不二一元論)の教えの神髄をシンプルに表したもっとも純粋な聖典。ラマナ・マハルシ、ラーマクリシュナ、スワミ・ヴィヴェーカーナンダ、ニーム・カロリ・ババ・・・古来より、インドの聖賢すべてに愛され、賛嘆され、語り継がれてきた真我探求のための聖典。

あなたは、純粋な気づき
すべてのものごとを見守る観照者なのだ
世界はただの幻にすぎない

放棄することを放棄しなさい!
何も拒んではならないし、何も受け入れてはならない
静かにありなさい。だが、何よりも幸せでありなさい。
ただものごとをあるがままに知ることで、
あなたは自己を見いだすだろう

 インドの霊性の歴史は、意識の源泉を探求し続け、自己の本性である真我を実現するに至った偉大なる覚者を数知れず生み出してきた。彼らが確立した数多くの教義のなかでも、現在もっとも勢力をもち、広く行きわたっている教えがアドヴァイタ・ヴェーダーンタである。

 ヴェーダーンタは世界最古の聖典『ヴェーダ』の最後に表された『ウパニシャッド』の教えを基本とした宗教哲学であり、その一学派であるアドヴァイタは「不二一元論」と呼ばれ、宇宙の根本原理ブラフマンと自己の本質アートマンの同一性を主要な教義としている。幾世紀にもわたって受け継がれてきたこの教えは、インドを代表する2人の偉大な聖者ラーマクリシュナ・パラマハンサとラマナ・マハルシの弟子たちによって広く紹介されて世界中に浸透し、21世紀に入り、急速な広まりを見せている。

 山に籠もることや宗教組織に加わること、剃髪して僧衣に着替えることでなく、オフィスや学校で、あるいは電車の中で、各個人が日常生活において誰にも知られないで静かに内面に向かい、「私」という想念が湧き起こる自己存在の源にとどまることで真我に至ることができるという革新的な教えである。

テキストのコピーはできません。